ある種バーチャルなブログ

自分が触れた創作物についてまとめるつもりです

修士論文発表前日の気持ちをここにしたためようと思う

正直明日どんでん返しの卒業不可とかも別にないわけではないから卒業する前提ではなく、卒業するかもしれない日の前日の感情という話になる

 

早いものでこの大学に僕は六年もの間いたらしい

恐ろしいことに六年前の記憶はまだ昨日のことのように思える

いやこれは嘘。さすがに学部一、二年の時の自分は別人だなあというのが自分の正直な気持ち

一貫性があるのは学部三年生以降の自分で、正直そこの自分からはあまり変わっていないように思える

 

これだけ長い期間この大学にいた割に何も身に着けてこなかったなあと時々思ってきたが、ふと現代制御の教科書を読み返したときにそれは嘘だなと思った

この教科書の内容は学部一年生の自分にはおそらく理解できなかったと思う

けれども今の自分は身についているかといわれると正直怪しいけれどここから勉強をしていける程度にはなれたなと思う

もちろんこの修士修了までに僕よりはるかに力をつけていわゆる即戦力といわれるような人たちもいるけれど、まあ牛歩ながら進んできたのかもしれないというのが自分に甘い僕のこの6年間の総評といったところか

 

学問の話はいったん置いておいて、この大学に入って正直最も自分の中で変化したのは人間関係についてだと思う

自分は高校時代はぶっちゃけた話がご想像の通りスクールカーストの最底辺で、その最底辺にすら笑われるみたいな人間だった

人の目は見れないし話しもあんまり続かない、成績も悪い、クラスの影とか、なんならクラスの外のオタク仲間とこそこそにちゃついた笑い方をして話したりとかそんな感じ。そんでオタク仲間すら失うとかもあった

冗談は通じないほうだった。今もそこは残ってるけど当時は本当にひどかった。

そのあたりを何とか本当にひどいレベルからそれよりは少しはマシレベルに脱したのがこの大学に入った自分の変化だった

こういう変化をできたのはこの大学が少なくとも自分に対しては懐の広い場所であったからかなあと思う

そういう意味でかなりめんどくさい面の多い自分を受け止めてくれた友人たちには本当に感謝を伝えても伝えきれないのではないかと思う

 

学問の話にもどる

これは自分の中で未だに後悔が残っていること、そして今後解決しなければならない話だ

自分は結局学部四年生からの研究室でやりたいことをやれなかったという後悔がある

けれどもそのやりたいことというのは結局個人の趣味でもかなうレベルの話で逆になぜ個人的に進めてこなかったのかという思いすらある

けれどもやはり大学という場で研究という名義だからこそかなう側面もありなかなか複雑でもあったとは思う

またそうした思いがあったから研究に対しても熱意はなかった

仕事として行ってきてしまった

前のめりになれば楽しかったのかもしれないが自分には好みではないという感情で結論がついてしまっている

このスタンスはおそらく明日留年してあと一年やっても変わりはないだろう

テーマががらりと変われば変わるかもしれないが、このテーマに対しての結論がそうなってしまったのは後悔しか残らない

一方でやりたいこともできたという側面はある

最後の最後に見つけたkaggleや途中してはやめるのを繰り返してきた競技プログラミング

そして学部時代の後悔として残り続けるロボットへの挑戦

ただ大学院の終わりが見えるにあたって自分の時間の有限性にようやく気付き、おそらくすべてはできないから選ばなければならないという岐路にいつの間にか立たされていた

技術的なことだけに余暇のすべてを当てればどうにかなるのかもしれないが、それ以外のこともたぶんそろそろ見始めないといけない

ライフイベントとかいろいろ

そう考えると一つしかできないし、一つすら厳しいと思う

それにたぶんもっと言えばこういうことを仕事にしたいんだと思う

そう考えるとやっぱり選ばないといけない

それが今自分に課せられた課題なんだろうと思う

ただこればかりは仕事で何をするか何ができるかは運が絡む

そういう運にも身を任せつつおそらく僕は行きつく場所にたどり着くのだろう

 

 

書いてて後悔が残るなあと気づいたのは、学生はどこにでも行けたのだなあということに今更ながら気づいたことだ

やろうと思えば研究でだってどんなことでもできただろうしやりたいことをやれたと思う

ここから先は自分の意志だけじゃなくて他人の意志が介在してくる

行きたい場所に行けるわけではないし、行きたくない場所に行くことになるかもしれない

もちろん好きにやっててもいつかはそんな日が来たんだろうけど、もっとやりたいことを考えてればよかったなあとか思ってしまうところがある

悔しいなあ

 

そんな修士論文発表前日の思い

 

 

PS:この文章はこの場で公開する予定だったけれど、2、3年眠ってもらうことにしようと思う。たぶん懐かしさを感じるか恥ずかしくなるかの二通りだけど、それもまた味があると思う。

 

そして2、3年後の自分に一つだけメッセージを残したい。

仕事が好きならそれで結構だと思う。きっとその先どこかにたどり着けると思うから。

けどもし嫌ならやめて新しいことをするのも手だと思う。

上の文章を書きながら思ったけど、案外そこからでも新しい道は開けると思うから。

HELLO WORLD

ハローワールド感想

 


ネタバレ有ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今回はそんなに長くないです

自分は割と好きです

けど、ぶっちゃけめちゃくちゃ批判されそーと思ったw

 


オチが割と唐突だしなかなか解釈の落とし所がない(特に中学生堅書くんたち)

あと結局生き返った大人堅書くんは元の堅書くんとは別人というかコピーというかだよねみたいな気持ちになってしまう

 


という一方で、あの物語はあの物語自体というよりその裏で動いてたであろう一行瑠璃の物語に想像を馳せることの方が価値がある気がしてます

 


他の人の考察に則る形ですが、とりあえず最後の一行さんのいる世界を現実世界とすると

 


現実世界:堅書くんが脳死になる一行さんが救おうとする。一個下のアルタナの堅書くんを魂として堅書くん蘇生

 


現実世界のコピーのアルタナ:一行さんが脳死になり堅書くんが救おうとする

 


現実世界のコピーのアルタナのコピーのアルタナ:1個上のアルタナの堅書くんが一行さんを救うために干渉する。一個上のシミュレーションに過ぎない世界とする枷を外されて新たな世界になる。

 


最初堅書くんは2人のコピー堅書くんが統合された上で掬い取られたのかと思ってたんですが、別個として存在した上で1人は新たな世界にもう1人は現実世界にというおちだったとツイッターである考察読んでようやく理解できました。

 


そう考えると最後の

「大切な人を守りたいと思ったあなたは、器と魂が同調した」

 


このセリフがマジでエモくなってしまって

 


ラストシーンで大人堅書くんは

「どっちが消えたらまずいかなんて決まってる。お前が消えたら大惨事だ」

的なセリフを堅書くんに言ってるんですよね

 


その前の一行さんとのやり取りから考えるに、これは三ヶ月面倒を見た堅書くんに情が移った以上に、自分の好きな一行瑠璃に堅書くんが必要だと考えた結果でもあると思うんですよ

 


つまり、大切な人が表してるのは堅書くんではなく当然ではあるんですが一行瑠璃で、一行瑠璃のために大人堅書くんは死んだ

 


この一行瑠璃のために死んだ状態の魂が器と一致した

 


つまり、てか当たり前といえば当たり前なんですが、現実の堅書くんもただ一行瑠璃と入れ替わって雷に打たれただけとかではなく、一行瑠璃を守るために死んだ

 


その堅書くんを救うために一行瑠璃は堅書くんと同様、もしくはそれ以上に努力して最後の結末に至った

 


この考察に至ってめちゃくちゃエモくなってしまって、現実の堅書くんと1個目のコピーのアルタナの堅書くんが別人でもこの結末は本当に尊い結末なんじゃないかって思えてしまってまあ全部いいかなみたいに思ってしまってるんですよね。。。

 


というかそもそも大人堅書くんの世界ってコピーのアルタナだったんだろうかみたいな疑問もありますね。

別人問題について流石に考えてたとすると、あの世界は堅書くんの記憶を元にあの時雷に打たれたのが一行瑠璃だったらという過程の元で頑張って一行瑠璃およびその仲間が構築した堅書くんをサルベージするための世界で、ある種それこそあの堅書くんはその世界のアバターで動かしていたのは現実世界の回復途中でコンピュータに補助されながら思考してた堅書くんとかなら色々ロジックエラーは回避できそうかなーなんて思いました。

アバターってところを強調しなくてもいいのに強調してたところもあるし。

 


ここら辺の考察がもし当たってるならなんとも惜しいというか言葉足らずというか

 


ただ、逆にここら辺の考察が当たってるなら物語の階層構造それぞれの情報量が多すぎるので仕方ないのかなー、なんて

 


そんなことを思って締めたいと思います

天気の子感想

天気の子感想

 


天気の子の物語は一貫して帆高が陽菜を救おうとする話でした。

まず陽菜のバックボーンから私が考えたことについてまとめ、バックボーンと帆高が救ったシーンとのリンク、陽菜の社会的な役割、役割を全うした結果、帆高の選択、選択の結果への帆高の解釈あたりについてつらつら書いていきたいと思います。

 


陽菜のバックボーン

陽菜は見た限り母子家庭の長女で元々は弟と母との3人暮らしだったのだろうと推測されます。けれども母は物語の一年前に病で亡くなっていて、現在は弟と2人暮らし。本来ならどこかに引き取られるべきだったけれど引き取られると弟と陽菜は離れ離れにされてしまうようで、そうはなりたくない陽菜は年齢を偽ってバイトをしてなんとか生活を保っていた、というのが物語開始時点の陽菜でした。

弟と離れ離れにされてしまう、お金を自分で稼がざるを得ない、社会的弱者的な側面と大人の都合に振り回される子供という側面の強いキャラクターだなあと書きながら思いました。

そしてこのあと、陽菜にはさらなる不幸が訪れます。

 


帆高が1回目陽菜を救うシーン

陽菜は年齢がバレてバイトをクビになります。けれども都合からお金を稼がないといけない。そこで陽菜は風俗に踏み入れようとします。そこを目撃した帆高が陽菜の腕を取り駆け出す。けれども捕まる。そして都合よく所持していた銃()を発砲しその場から逃げ出す。

銃はヤバイだろと思いました(小並感)

まあそれはさておきこのシーンただの出会いのシーンかと思ったんですけど、2回目に帆高が陽菜を救うシーンと構図が同じなんだなあと思い返してから気づきました。

バックボーンで述べた感じで陽菜は社会的弱者で居場所がない。そんな陽菜を唯一受け入れる場所が風俗で、けれども本人が少なくとも嫌なのにその境遇を許容できないと手を取り駆け出したのが帆高という構図。

ここについては2回目に救うシーンで詳しく書きたいと思います。

 


陽菜の社会的な役割

天気の巫女、天気を晴れにすることです。

陽菜は一年前母親が死ぬ直前に超自然的な存在と契約し、天気を操る術を得ています。まあ、ファンタジー。これを用いて陽菜は頼まれお金をもらい天気を晴れにしていきます。これに対して陽菜は自分の役割がわかったといい、お金を稼ぐ側面もありますが、周りの人々が求めるがままに役割を全うしていきます。けれどもこの天気を操る術には代償があり使えば使うほど体が透明になっていつか消えてしまう。そしてこの消えることこそ天気の巫女という仕事の本当の意味での役割で、天気の巫女が消えることで天候が安定になり晴れが取り戻される。というものでした。

この天気の巫女の役割が最初の風俗に踏み入れるところと構造が多分同じで、ようやく見つけた役割の中でも社会とか大人とかそういうどうにもならないもののために犠牲にならなければならない人身御供に陽菜は追いやられてしまう。天気の巫女の役割の性質上、求められるがままに流された先に待っていたのが消滅という。だから多分陽菜は最初受け入れたんだと思うんですよ。自分にようやくできた役割の晴れにするということの究極的な目的のためなら仕方ない、みたいな感じで。

 


帆高の選択

陽菜の犠牲によって晴れになったと知らない人々への苛立ちや、止めようとする大人への恨み言を吐きながら消えてしまった陽菜を取り戻すために駆け出します。

この辺り銃についての考察しないといけないんですけど、そこはちょっとまだ統合できそうにないので割愛。

そしえ陽菜の元に帆高はたどり着き、手を掴む。陽菜は自分が消えなければ晴れは訪れないと自分の役割を全うすべきではないかと言うが、帆高はそれに対して晴れなんかより陽菜さんの方がいいと返し帆高は陽菜を取り戻す。けれども東京は晴れを二度と取り戻すことはなく、次第に海に沈んでいった(まじか)。

東京が海に沈むのはまあ代償の誇張表現としてやったとは思うんですけどちょっとリアリティレベル下げてますよね。

そこはまあどうでもいいんですけど。

帆高はこのシーンもちろん恋愛感情が強いと思うんですけど多分メタ的には他の人々や社会の都合に押し流されて陽菜が犠牲になるのを回避するという構図がやっぱり1回目に陽菜を救った時と一致してるんですよ。違いとしては陽菜に求められるものを知っているか知っていないか。1回目は知らずに駆け出していた。2回目は知った上でそれでも陽菜が犠牲になるのは許容できないと駆け出していた。唯一残念な点としては雨によって発生する犠牲までは把握してなかったから完全なトロッコ問題としては成立してないところかなあと思います。ただラスト見る限りそこはわざとかもしれないんですけど。

 


選択の結果の解釈

3年後ですね。

瀧くんのおばあちゃんは海か陸かは人と天気の都合で誰のせいでもないと言う。

須賀は思い上がるな、たまたまと言う。

ずっと自分のせいで東京が沈んだのではと悩み続けていた帆高はそう納得させるのも手かもしれないと思う。

けれど三年ぶりに陽菜を見てほかの誰のせいでもなくこの結末を自分達が選び取ったと言って幕が降りる。

ここはまだ解釈が難しいんですけど、やったことを自分の責任として受け入れそして少なくとも帆高たちはそれでいいと受け入れたってことなのかなあと。

 

 

 

総評として、やっぱり帆高が陽菜を救う話だったなあと。100を救うために1が犠牲になるのを許容できなくていいという話だったのかなと思います。少なくともそう感じたから私はこの作品にすごく共感したしとても良かったと思います。けれども元からそういう価値観を持っている人にしか響かなくて鞍替えさせる必要はないけどそういう価値観もあると伝えるにはちょっと弱いかなあと思います。けれどもならどうしたらいいとかは思い浮かばないし現時点で新海誠、ひいてはアニメの表現としてそういう価値観の話としてはやれるところはやりきった話なのかなあなんて思いました。

[ネタバレ有り]プロメア感想

プロメアを見てきました。

ネタバレを含む感想になるのでまだ見てない人はタイトルの通りバックしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まずシナリオ。やはり中島かずき脚本ということなのでグレンラガンキルラキルの系譜というかまあやってることはいつも通り。

やはり映画は尺がないのでキルラキルのように全員を描くというよりは中心人物にスポットを当てるグレンラガンに近いように感じました。

 


具体的な内容に踏み込んでいくと、この物語はグレンラガンキルラキルの精神的続編でありかつオルタナティブな完結編であると感じました。

 


というのはあくまで一個人の感想ですが、地球を破滅させてしまうプロメアとバーニッシュの関係性がグレンラガンに置き換えればスパイラルネメシスと螺旋力、キルラキルならば原始繊維生命体と戦闘繊維の関係性と一致していた点です。グレンラガンにおいてはアンチスパイラルを倒すことで全宇宙の生命は自由を得ますがスパイラルネメシスに関しては止めると約束し棚上げにし、ニアを失います。キルラキルでは地球の繊維生命体は撃退しひとまずの平穏を得ますがラギョウはまた繊維生命体はやってくると言い残し自死します。それに対し流子はそれでも人は人であり続けると言い返し、地球に落下。鮮血は流子を守って燃え尽きます。

 


これに対してプロメアは前2作と同じ流れを辿りつつも相違点が二つあります。プロメアにおいてはプロメアを完全燃焼させることで時空断裂帯を解消し、バーニッシュの能力は消え、問題は完全に解決し、ヒールであるクレイフォーサイトが生き延びます。

つまり、倒すべき悪役が生き延びるという物語に変化し、問題が解決されるという完結を迎えているのです。

この変化に関しては昨今の世相が反映されている気がします。ただ悪を殴り倒せばいい、ただ問題を先送りにするという事象はプロメアを見る層であれば賛否はともあれネットでいくらでも見ていると思います。グレンラガンキルラキルもそんな風潮を許容する作品ではありません。けれども解決方法が悪を倒す、問題を先送りにするになってしまっていた。しかし時間が経過し今の世の中になり、その手段は問題を解決しないどころか悪手ですらあることがいろんな事案から示され、グレンラガンキルラキルで残された課題をメタ的にも物語的にも解決する物語として構築されたのがプロメアなのではないかと思っています。

 


キャラクターに関しては個人的にはガロがいちばんキーだったのかなーと(好きなキャラだとアイナがかなり好き)

今までの主人公たちであればとにかく殴り倒しにいっていたところが、ガロは相手の話を聞きます。バーニッシュの事情を聞いたなら燃やさなければ大丈夫なはずだと諭そうとし、クレイの計画を聞いたなら殴り倒そうとはせず他の手段を探そうとし、暴れまわるリオを見たなら殴るより先に止める。そして予告でもあったあのセリフ。

 


「俺は助けるぜ、リオも、地球も、あんたもな」

 


このセリフとそれを実行しきったラストはグレンラガンキルラキルと決定的に異なっていて、ニア、鮮血のような対価を払わない形での問題の解決で物語は幕を閉じます。

 


このラストに関しては甘いと感じる人もいると思うし、この結末をグレンラガンキルラキルでも見たかったという人もいると思います。個人的には物語くらい対価なしで頑張ったら頑張っただけの結果が出てもいいんじゃないだろうかと思った次第でした。

 


あと一つ忘れてた、デウスエクスマキナもといリオデガロンもといガロデリオンにリオとガロが乗ることになった理由についてです。

クレイを止めたかった博士の元にたまたまリオとガロが飛んできてたまたまリオがバーニッシュでたまたまクレイを止めたいという気持ちが一致していた。

ここも御都合主義である一方で個人的にはもう一つの見方があると思っています。

やってくるのは誰でも良かった(まあ少なくともバーニッシュは一人は必要ですが)

ただの一般人でも良かった。

下手したらあのピザ屋の店員と店主が偶然ここに飛ばされてきてもよかった。

何かを変えるのに資格なんて必要はないって、そういう話だったのかなと解釈したのですが、みなさんはどうでしょうか?

 


ここまでで伝わってるかわかりませんが僕はこのプロメアかなり好きです。一方で結局お騒がせな宇宙人プロメアに振り回されただけじゃんみたいな気持ちもあり、完璧なシナリオとも思っていません。それは映画という枠に落とすのが難しかったというのもあると思っていて、可能であるならばプロメアの魂を受け継ぎさらに進んだ答えと洗練されたシナリオの作品をまたこのスタッフ陣でテレビアニメで見せて欲しいという気持ちがあります。

 

 

 

とまあここまでがストーリーの感想というか考察になります。

 


次に映像です。

多分あの映像に文句をつけられる人はそうそういないんじゃないかと素人ながら思いました。

グレンラガンキルラキルでの要所での描き込みが最初から最後まで続く感じ。

場面の雰囲気に合わせた緩急のある絵柄。

映像面全体としてはそれこそここまでトリガー、今石監督のしてきたことを昇華させたような集大成になっていた気がします。

そして要所でいうならデウスエクスマキナ、リオデガロン、ガロデリオン。まあ完全にグレンラガンファンへのファンサービスでしたねw

デウスエクスマキナからの変形時の映像はキルラキルの鮮血の変形シーンへのオマージュなのかなとか思ったり。

プロメアは単体として完成された作品でグレンラガンキルラキルを見ていない人でも楽しめる映画ですがやはり尖った作品である意識はあって、グレンラガンキルラキルファンが客層の多くを占める自覚はあったって感じですかね。

 


こんなあたりがわたしのプロメアへの気持ちです。

音楽とか諸々書こうと思ったことあったんですが書きたかったこととしてはストーリーのところで完全燃焼したからもういいや。

 


映像のとこ書いてて気づきましたがこのクオリティをテレビアニメ2クールでやったらトリガー破産しますね。

映像は今までのレベルでもいいから(とはいえこのスタッフ陣はその段階でやれる限りのことをやりきろうとする気がしますが)、グレンラガンキルラキル、プロメアを経てさらに先の物語をどうにか見せて欲しいなんて、繰り返しながら思ってしまう次第でした。

あけまして

初めまして

また新年明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

 


まあ今年もよろしくお願いしますと言われても私の知り合いでない方からすればお前とよろしくした覚えはないとなりそうですが

 


知り合い以外に向けて自己紹介すると、現在某大学で大学生をやっている者です

 


知り合いもこのブログがなんなのかよくわからないと思うので全ての人に向けてこのブログについて説明すると、私が触れた創作物の感想をまとめるブログというのが妥当かなあと思います

 


以前は技術系のブログをほんのすこーしだけ書いていたのですが、正直他の人の後追いにしかならないこと、そしてサークルを引退し技術系から離れてしまったことなどの理由からやめてしまったので、こうして新規のブログを立ち上げているという状況です

 


今日の記事ではどんなことを書こうかと思っていたのですが、とりあえず去年見た映画についてまとめていこうかなと思います

 


とりあえず去年見た映画で覚えてる範囲の映画のリストが下のようになっています

 


グレイテストショーマン

さよならの朝に約束の花を飾ろう

リメンバーミー

スラムドッグミリオネア

グッドウィルハンティング

ショーシャンクの空に

イエスマン

アバウトタイム

エイプリルフールズ

ペンタゴンペーパーズ最高機密文書

(500)日のサマー

ラ・ラ・ランド

レディプレイヤー1

フリクリプログレ

フリクリオルタナ

ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生

シュガーラッシュ 

 


多分他にも見たんですが忘れてますね

映画たくさん見る人に比べたらかなり少ないんですが、それまでは映画館まで行って見にいく映画は多くて年に4本くらいでビデオ借りたりした映画はあんま覚えてないみたいな感じだったので去年はかなり多いですね

 


こうなったのは去年の最初の方に見た映画であるグレイテストショーマンとリメンバーミーがとてもおもしろかったからということに起因してると思います

あの二つがおもしろくなかったらたぶん見てる映画は半分くらいになってたと思う

 


さよならの朝に約束の花を飾ろうもとても良かったのですが、アニメ映画だからこそ見た部分が大きい映画だったのでたぶんさよ朝だけだとここまでたくさん見ることにはならなかったかなあという印象

 


特にグレイテストショーマンは自分の中にあった洋画とミュージカル映画へのなんとなく見る気が起きない抵抗感を壊してくれた映画で、大量の映画を見るに至ったのは面白かっただけじゃなくてそこらへんもかなり大きかった気がします

よく考えるとリメンバーミーも音楽要素が大きい映画だったからこの組み合わせは大きかったのかも

 


そこからいわゆるかなり有名な作品枠でグッドウィルハンティング、ショーシャンクの空に、かなり時間が飛んでスラムドッグミリオネアを見るという流れ。

この三作がとても面白かったのが映画を見ることに拍車をかけました。

 


それでどこから来たのかずっと見たかったけどなかなか足を踏み出せなかった(500)日のサマーを見ました

内容は恋愛の地獄とでも言う内容でいろんな意味でかなり楽しかったです

(500)日のサマーと少し似ていてグレイテストショーマンのスタジオが作った?ラ・ラ・ランドを見ました

この映画もすごく雰囲気がいい映画で、人間関係の機微とすれ違いが表現は難しいですかとても綺麗でした

 


それでこのあと見た映画が500日のサマーのヒロイン役の人が個人的にかなり綺麗だったのでええなーと思いアマプラで見つけた同じ人がヒロインやってたイエスマンでした

コメディかつ恋愛モノって感じの映画であーーーーーってなりながら見てました

これは人間関係というよりは寓話的な感じでしたが話として面白かったです

 


ここらへんでレディプレイヤー1を映画館で見ました

ほんとにこの映画は面白いから見てほしい

映画というよりはアトラクションという感じの映画で、4DXそんなたくさん見たわけではないのですが4DXもマッチしてて本当に凄まじかったです

 


ほんでまあこの映画でもヒロインが良かったので同じ女優さんが出てた、ぼくとアールと彼女のさよならを見ました。

高校生の時のやり場のない感じが出ててとても良かった

ちなみに吹き替えはレディプレイヤー1では坂本真綾でぼくとアールと彼女のさよならでは早見沙織でそこらへんも含めてよかったです

 


ここらへんで日常が忙しくなったのでしばらく映画は途絶えてフリクリまで飛び、ファンタスティックビーストを見て、年の最後にシュガーラッシュ一作目を見て終わりって感じでした

 


なんか計らずして去年の個人的映画評のまとめになってしまいましたね

二つくらいこのあと感想書こうと思ってたけどいらなさそう

 


そんでまあ今年も映画たくさん見ていきたいなーという思い

とりあえず直近だとシュガーラッシュオンラインと仮面ライダーみたいですね

一気に子供向けだけどバカにできないんすよこのタイトル

そんで3月くらいに公開のスパイダーバースも見たいですね

 


ていうか書いてて思いましたが実写映画に関してまったく情報追えてないな今年

 


というわけで今年の実写映画を調べて来ました

 


ファーストマンと女王陛下のお気に入りがとりあえずかなり面白そう

あとフロントランナーか?

 


ていうか映画ってこんなに大量にやってたんですね

最初2019公開の映画一覧みたいなページ開いたんですけどありすぎて追えそうになかったので注目作に限定したページ見てようやくめぼしい映画がわかったって感じですね

注目作ですら100本くらい紹介されててこんなに映画ってあったんやなあと